私は深夜4時の小山市役所にて、石畳に寝転がりながら、こう誓う羽目になりました。「野宿は本当にやめた方がいい。少なくとも寝袋がないなら」
きっかけはとある旅行サークルの夏合宿でした。そのサークルの合宿の「モットー」として、現地集合現地解散がありました。すなわち、現地の集合地と時間だけが言い渡され、そこまで各サークル員は自由にそこへ向かう訳です。この時の集合は函館駅でした。サークルに何年も所属するうちにその旅行スタイルに順応するようになっていました。
そして、今思えば悪魔的な、いや、到底無謀な発想に至ってしまったのです。「時間さえ十分にあれば北海道まで自転車で行けるんじゃないか?」本当に、この発想こそが全ての過ちであり、この冒険譚を生み出す根源でした。
時は2018年8月17日夕方。夕方ごろ練習を終え北海道へ準備を進めていました。集合日は8月20日。正直遅すぎる気がするが気のせいということにしました。普段乗っていたクロスバイクは折りたたみではないため、輪行して移動するにしてもサイズが大きすぎて邪魔になる、と判断し新しい折りたたみ自転車を買うことにしました。運良く新大久保の中古マーケットで中古の折りたたみ自転車を無事見つけ出し、この旅のパートナーとしました。変速機能もあり山道でもスイスイ進めるほどの手軽さと折りたたみ機能に気に入ったものです。
……旅を進めるうちにそれが盛大な勘違いだということに気づきますが。
自転車を購入し、着替えなどをリュックに詰め終わったところで、いざ北海道 に向けて一路目指す訳ですが、ここで私は重大な事に気が付かないでいました。旅を始めて3日後、すなわち8月20日には函館にたどり着かなければならないということに。青森を同日の朝8時に出発するフェリーに乗るため、実質的なリミットは60時間という事になります。確かに、時速15kmで走行すれば間に合います。理論上は。しかし、私はその強烈な現実に対して「ゆーて行けるっしょ」とまるで堕落した大学生と全く同じような思考に陥ってしまっていたのでした。
はじめこそ旅程が快調であったのは事実でした。早稲田から30kmほど離れた越谷に1時間半もしないうちにたどり着い他のです。平均時速が20kmと、折りたたみ自転車なら相当早いペースで進んでいました。
しかし、そんなハイペースな走行によるボロは直ぐに出てしまいました。途中、日帰り温泉に寄ったりしつつも快調なペースで国道4号を北上していきましたが、日付も変わり、25時を過ぎても未だ埼玉県すら脱出できない中、ある異変に気づいてしまったのです。
……ケツが痛い。
折り畳み自転車を買った直後に、ロードバイクと同じくらいサドルを高くしていたのですが、今思えば特にスピードが上がったわけでもなくひたすらドMプレイを自分に強いていただけだったでした。ひたすらにアホです。
ケツ痛(けつつう)に耐えながらもごまかしながら自転車を漕いで行きますが、ケツ痛に気づいてからというもの、ついに痛さと眠さと疲れが限界に達してしまい何度も歩道に入っては休憩を繰り返す始末に。後悔を胸になんとか栃木県小山市へたどり着きました。この時、すでに夜中の26時半を回っていました。なお、6時間かけて移動した距離は80km前後でした。この時点でもはやこの旅行計画は崩壊していたわけです……
「正直もうこれ以上走れない。休むしかない……」
そう思って小山駅の自由通路で寝ようとするも、安定の北関東クオリティです。こんな時間までDQNが駅でお遊びになられていました。到底安心して寝られる様子ではないため、渋々駅を後にして向かった先が……
小山市役所の入り口にあった石畳でした。ちょうど冒頭のフレーズに当たります。催しの看板(横に5mくらいある長いもの)が陰になって外から見えにくいようになっていました。これは僥倖……
もちろんそんなはずはありません。
8月後半、東日本を中心にそれまでの灼熱が嘘のように消え、寒波が出ていたのです。この日の最低気温は16度。いやマジで寒かったです。もちろん、こんな無謀な旅をしている私が睡眠用の長袖などといった高尚なる装備を持っているはずもありません。強烈な寒さとどんどん熱を奪っていく汗に凍える中、通気性バツグンのスポーツウェアで無理矢理睡眠をとる羽目になります。
結局1時間半しか寝られませんでした。というか寒さとケツ痛でほとんど意識があったままでした。さようならぼくの人権……。
何とかして這い上がりながら起き上がるものの、想像を絶する寒さに身体が芯まで凍えてしまっています。自転車を漕ぐのはすぐには無理だと悟った私は、吉野家に避難する事にしましたが、吉野家も冷房ガンガン効いていてそれはそれでなかなかに辛かったです。
少し日が登りはじめ、ようやく身体の震えも収まってきたところで宇都宮市に向かいます。途中、東京から100キロポストを見つけたがそれを見て感じたのは感動ではなく「まだ100kmしか走っていないのか…」というひたすらの徒労感だったことも付してお来ます。
朝7時前、若干の寒さを残しながらの走行の果てに見覚えのある湘南新宿ラインの車両を見かけた時、えも言えぬ感動を覚えたことは記憶に新しいのですが、この旅の目的地は宇都宮ではなく北海道です。
何度経験しても次に活かせないのが堕落人間の自然の摂理ですが、この性格と何年も同居していれば対応策くらいは練られるようにはなってきました。2日分の青春18きっぷを宇都宮駅で手に入れることができたのです。ついでに輪行袋も買えました。金券ショップが9時半開店だったため時間つぶしのために入ったスーパー銭湯も快適でした。この時、私は自分に運が回っていたと考えていましたが、よくよく考えてみれば大人しく最初から青春18きっぷで北海道に向かっていれば野宿も高い自転車台も必要なかった訳です。大ファンブルです。
さて、早々に自転車移動を諦めて青春18きっぷで北上を試みることとなった訳ですが、せっかくなので道中旅をしようではないかと考えました。あわよくば体力もそこそこに回復してまた自転車が漕げるだろうという算段です。
もちろんそんなはずはありませんでした(2回目)
乗車した黒磯行き普通列車で疲れと睡眠不足からか当然のごとく爆睡してしまい、あわや折り返しに乗ってしまうハプニングに。慌てて輪行した自転車を背負って電車から降りようとするも、予想以上に自転車が重い。検索してみればどうやら14kgはあるらしく(ここ重要)階段移動にとても辛苦を受けました。
とにかく、福島県は白河駅にたどり着来ました。せっかく白河で降りたのならと白河城も観て行きました。
車内で飲んだ酒もいい感じに抜けた14時過ぎ、郡山まで再び自転車で北上することを試みます。GoogleMapで見て見ると100m前後の獲得標高のようですが、意外とこの行程は順調でした。というのも、自転車が走れるほどの車間スペースもあったし、というかそこまで交通量が多くありませんでした。信号も程よく存在せず、田園風景を横目に軽快に走行できたのです。途中、ちょうど30kmを走ったあたりの須賀川市で公営の日帰り温泉に入ろうと思ったのですが、改修工事中でした。泣きました。
風呂休憩を取ることができなかった結果、40kmをノンストップで走破し郡山駅に到着しました。蓄積してしまった疲労を回復しよう、ということでサークルの同期に勧められた桃パフェを食べようと思ったけれど、駅前の店では売り切れ。再度5km移動する羽目に。休憩とは何だったのでしょうか。
頑張って目当てであるフルーツピークス本店でありつけた桃パフェは本当に美味でした。ただ、スポーツウェアの男一人がパフェつついてる光景は流石に異様だったと思います……はい……。パフェを堪能したところで郡山駅に戻ってきましたが、まだまだ自転車をこぐ体力はありません。仕方なく福島まで電車にもう一度乗ることにしましたが、気がついたらサイゼリヤで晩飯を食べ、銭湯に入り、仙台まで来ていました。たどり着いた仙台で、かつての苦悩の記憶が蘇ります。
実は2年前の2016年9月、仙石線で野宿を敢行しようとしたところ、無人駅の選択を間違えてしまい横にもなれないような狭苦しい待合室で一晩を明かすことになってしまったのです。……その記憶がありながら何故野宿をやめないのかについては聞かないでいただけると幸いです。
結局、選んだのは仙山線の葛岡駅でした。この駅で泊まった翌日に、あわよくばニッカの宮城峡蒸留所に立ち寄るつもりだったのです。今回はネットで入念に調べたところ、待合室もそこそこ広いようです。戸締りもできるみたく昨日のような轍は踏まなさそうでした。
もちろんそんなはずはありませんでした(3回目)
何と先客がいたのです。いや、そこまではよかったのですが。しかし彼、締め切った待合室でタバコをふかしているのです。待合室、真っ白に覆われていました。「こんなところで寝られるか」と外に出ようとするも、その日の気温は15℃を下回ろうかという寒さでした。外で寝るのは愚か、これ以上自転車にすら乗れないレベルでした。他に寝る場所もないから真っ白の待合室に入り、渋々横になりました。幸い、ネットの情報通り広い待合室だったため私が横になるスペースも残されていました。
しかし、寒くなっても虫は健在です。25時に寝たのですが、始発までにおそらく4回ぐらいは起こされた記憶が残っています。当然寝られなかったので、仙山線を往復して睡眠時間を稼ぎました。旅程とは全く関係のない山形県に突入していました。熟睡できたので問題ないでしょう。山形駅をそのまま折り返し、作並という駅で下車し宮城峡蒸留所に向かいました。
蒸留所観光を楽しみつつも、北海道へ向かわなければいけません。残念ながら、フェリーで函館に上陸するためには今日中に青森に到着しなければなりませんでした。急いで仙台駅に戻りました。下り坂というのもあってか、宮城峡から仙台駅の25kmはわずか1時間で到達する事ができました。山道が途中から郊外に変わり、そして市街地に変化する様相は中々新鮮でした。仙台駅で手早く昼食を済ませ(仙台名物を食べているほど私には時間的にも金銭的にも余裕などありません)、青森へ電車を乗り継いでゆきます。青春18きっぷを片手にひた盛岡駅へ。自転車旅はこうして完全に崩壊した瞬間でした。
盛岡駅では数十分ほど時間があったため、晩飯と酒を調達しました……といっても晩飯はマックでしたが。盛岡から先は花輪線経由で大館駅に向かい、弘前経由で青森駅に向かういことにしました。途中まで通学路線なのか着席もできず焦りましたが、花輪線に入ってからはウソのように人がいなくなったため落ち着いて酒盛りを始めました。それまでの疲れですぐ眠りについてしまい、気がついたら大館駅に着く数分前でした。ざっと3時間近く寝ていたようです。
大館でまた数十分待ち、この日の最終目的地である青森行きに乗車します。この時点で夜中の9時を回っており、昼12時半に仙台を出てから中々の時間を電車で過ごしていたことになります。この時、車内で私は2日間に渡る野宿に反省し、青森駅ではちゃんとホテルに泊まることに決めました。当日予約で安価にホテルに泊まれるのか…と最初は心配していた訳ですが、なんと2000円台で泊まれるホテルが複数ありました。どのホテルも青森駅から徒歩10分圏内。青森、物価の異常な安さに心配です。
楽天ポイントを利用したことでその日は1200円で泊まる事が出来たのですが、これまでの旅を概算してみると宿泊費は0円、0円、1200円ということになっていました。引きました。
降り立った青森駅は自分の思う以上に整備されていました。この土地も、実は5年前に同じダイヤ、同じ時刻で到着していましたが(まだ急行はまなすが生きていた時代です)、その時はTHE・国鉄ステイシヨン然とした出で立ちだったのでその近代化ぶりに驚きました。久々のベッドは本当に快適でした。しかしそれ以上にコンセントの存在が心強かったです。もうバッテリーとヒヤヒヤすることもありません。
翌朝、予定通り早起きした私は青森港に向かいましたが、案外駅から港まで離れていたため若干焦りました。なんとか港に到着し、青函フェリーに乗船します。その日の気温と快晴もあってか、潮風が気持ち良かったことも覚えています。
さて、この旅最後の自転車走行です。函館港も青森と同じく駅から少し離れています。駅までの連絡バスもありますが、せっかくの最後くらい、自転車で北海道の地を踏みしめようと思い、ペダルを漕いで行きます。
予定どおりに函館駅に到着し、3日を超える旅を終える事が出来ました。実走行距離を換算すると、紆余曲折あったものの180kmを超えており、なんだかんだ長距離を走行していました。ようやく、旅サークルの合宿が始まります。