学生時代に立ち上げ、3回の演奏会を開催したトラオム祝祭管弦楽団。最後に開催した「ヘンゼルとグレーテル」は3年前のことでした。
この3年という時間は楽団を取り巻く環境を大きく変えました。
参加者の多くは社会人となり、学生の時ほど自由に時間を使えなくなりました。さらには結婚や子育てといった人生の次のフェーズも近づいてきて、「私は今回が最後の参加になるかもしれない」といった会話もちらほら出てきました。フットワークの軽い人たちが多かったトラオムにとっては大きな変化です。
また、社会の荒波に揉まれ、考え方が”大人”になりました。何を隠そう、私がその一人です。学生時代の私が若気の至りで立ち上げた超革新派楽団だったトラオム祝祭管弦楽団は”大人”の集団になってきました。大人になるというのは、人への配慮ができるとか、先を見越して順序立った行動ができるとか、危機管理ができるとかそういった意味もありますが、良いことばかりではありません。円満解決を言い訳に衝突や対話から逃避したり、リスクを避けて挑戦しなかったり、世間体を気にして保守的になったり。歳を重ねて、そんな雰囲気も蔓延するようになってきた気がします。
そんな変化に直面し、ふと「そもそもなんでオケなんかやっているのか」と考えることもありました。アマオケというのは楽団にもよりますが「趣味です」というにはちょっとハードなことをやっているように思えます。100人近い人が集まらないとできなくて、本番に向けて数ヶ月から中には半年以上にも渡って練習するような趣味はなかなかないでしょう。人によっては「趣味」とか「アマチュア」といった言葉を使いたがらない人もいますし、私自身も「趣味はオーケストラの指揮です」って言うのはためらいます。まあ本職は別にあるしオケでお金を稼いでいるわけではないから大きなくくりでは趣味なんだけど、趣味っていうよりもっと真剣な気持ちでやってるんだよな……という考えが浮かんでくるのです。中には「趣味です」と思ってやっている人もいることでしょうが、いずれにせよオケと仕事を両立するのは簡単なことではありません。
それでも、コロナ禍を経て今なお仕事と両立しながらオケを続けているということは、オケや音楽が好きだからということに変わりないと思います。そして3年間も休止したのにトラオムに再び集まってくれる奏者や、新たに加わってくれる奏者がいるということはとてもありがたいことです。
「大切な仲間がいるから戻ってきた」「楽しいって聞くから参加してみた」「なんか居心地がいいんだよね」「トラオムの目指している方向性に共感している」など理由は様々だと思いますが、とにかく嬉しいことです。
そんな仲間たちと今回向き合ったのは、「”らしさ”の探求」というテーマでした。「モルダウ」ではスメタナが祖国に見出した”らしさ”、大学祝典序曲とブラ4ではブラームスが作曲家として探し求めた”らしさ”に向き合いました。そしてこの時間はトラオム祝祭管弦楽団にとっての”らしさ”を改めて探求する時間でもありました。
個人的なことを言うと、私にとってこの時間は「大人になる」について考える時間でもあったのです。特にブラ4は中学生の時から「大人な曲だなあ」と思っていたので、曲に向き合う時間=大人というテーマに向き合う時間でした。その中で、冒頭に上げたような悪い意味での”大人”な部分は、やはり臆病さとか弱さでしかない気がしてきました。
大きな変化はあれど、好きでやっている活動を続けていけるように適応すること。そして、トラオム祝祭管弦楽団の活動続ける中で掲げてきた理念「ホールという空間を”夢”で包み込む」を貫くこと。このような強さをもって大切な楽団の活動を守っていくこともまた「大人になる」ということのような気がいたします。
結成から6年。少々歳を重ね、様々な変化を経たトラオム祝祭管弦楽団がスメタナとブラームスを奏でます。これまでと変わらず「ホールという空間を”夢”で包み込む」ような、そんなトラオムらしい演奏を皆様と共有することを目指します!