こんにちは!総監督の米本です。
いよいよ演奏会が近づいてきました。
今回はブラームスの作品を2曲演奏するため、ブラームスについていくつかの文献を読んできました。
調べてみると思っていた以上に人間臭いところが感じられて興味深かったので、特に面白いと思ったエピソードや私が思うブラームスの人間像をまとめてみました。
ブラームスに影響を与えたこと
シューマン一家との関係
ブラームスが作曲家としてデビューする際に、当時作曲家として第一線で活躍していたシューマンが重要な役割を果たしました。シューマンは批評家としての影響力を駆使してブラームスを世間に紹介したのです。それだけでなく、自宅に住まわせ、楽譜の出版にも手を貸しました。
しかし、ブラームスが訪れてから半年後にシューマンはライン河へ投身自殺未遂を起こしました。この出来事はブラームスに大きな衝撃を与えます。その後、シューマンは精神病院での療養も虚しく2年後に息を引き取りました。シューマンの死後も、彼の妻であるクララや子どもたちとブラームスとの関係は続きました。特にクララとの間にはシューマンが亡くなる少し前から禁断ともいえる愛が芽生えていたと言われています。ただ、クララはブラームスに想いを寄せる一方で亡き夫への想いもあり、ブラームスもそのことを理解していました。こうして2人はその後もつかず離れずの関係のまま晩年に至ります。結局ブラームスは生涯独身を貫き、クララが亡くなった翌年に後を追うようにこの世を去りました。
ベートーヴェンの大きな影
ブラームスの時代では、ベートーヴェンに続く大作曲家が待ち望まれていました。当時活躍した作曲家たちはベートーヴェンの美学を継承することを目指しましたが、それぞれのアプローチには違いが生まれました。リストやワーグナーらは交響詩や楽劇といった標題音楽を、メンデルスゾーンやシューマンらは交響曲や室内楽などの絶対音楽を追求しました。しかし、「第二のベートーヴェン」と言えるような作曲家は現れていませんでした。
そんななかブラームスはシューマンによってその才能を見出されます。このときのシューマンの紹介は「ベートーヴェンの継承者がついに現れた!」と言わんばかりのものでした。このため、ブラームスは「第二のベートーヴェン」として広く認知されることになり、彼自身もベートーヴェンを強く意識するようになりました。
交響曲という大仕事
ベートーヴェンを継承する存在として世に紹介されたブラームスにとって交響曲は避けては通れない道であり、重圧のかかる仕事でした。
彼は最初に交響曲を構想してから交響曲第1番を発表するまで20年以上もの歲月を費やしました。その過程で、交響曲として構想した作品を「ピアノ協奏曲第1番」として世に送り出しています。また、4作の交響曲を書いた後に着手した第5交響曲の構想は断念し、その素材を「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」に用いました。こうしたことからブラームスが交響曲という課題を重く捉えていたということがうかがえます。
二重協奏曲以後、ブラームスは交響曲の作曲には取り組まず、代わりに室内楽の作曲に力を注ぐようになりました。本日演奏する交響曲第4番はこうして「ブラームス最後の交響曲」となりました。彼は第5番を構想するなかで第4番こそが交響曲という大きな課題に対しての答えだと気づいたのでしょう。交響曲第4番はまさに「辿り着いた傑作」なのです。
ブラームスの人間像
神経質
ブラームスは神経質で完璧主義、かつ慎重な性格だったと言われています。そのため作曲した作品を破棄することがよくあったようです。初稿やスケッチにいたってはほとんど残っていません。また、作曲した楽譜は出版する前に友人に送って意見を求めることも多く、ピアニストで作曲家シューマンの妻であるクララ・シューマン、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム、指揮者のハンス・フォン・ビュローをはじめとする人々に助言を仰いでいました。そして、破棄されなかった楽譜のうち校正に校正を重ねた作品がようやく出版されるのです。作品がこのように慎重に出版されたのですから、私たちが演奏する際に神経質になるのは無理もありませんね。
不器用
基本的に慎重な性格であったブラームスは言いたいことがあってもなかなか言えなかったようです。しかし、いざ意見を言うとなるとかなりはっきりと主張することもありました。たとえば、音楽性の合わないリストら新ドイツ派を批判する声明文を雑誌に寄稿したことがあります。かなり大胆な行動ですね。
また、チャイコフスキーの交響曲第5番のハンブルク初演に立ち会った際には、チャイコフスキー本人に対して「4楽章以外は気に入った」と話しています。他に言い方はなかったのかという気がしてしまいますが、幸い、チャイコフスキーはブラームスの率直さをむしろ気に入ったようです。一方で、ブラームスの悪気のない言動が親しい友人を怒らせ、しばらく関係が険悪になることもありました。
陽気
重厚で厳粛な作品が多いブラームスのことなので、神経質で不器用と書いたことで、より根暗なキャラクターのイメージを植え付けてしまったかもしれません。しかし、実際のブラームスは意外にも陽気な一面を持ち、交友関係も広かったようです。
彼が若かりし日にシューマン家に住み込むことになったときは、その陽気なキャラクターでたちまちシューマンファミリーの人気者になりました。
さらに、彼の好きな旅行先はイタリアで、頻繁に足を運んでいたようです。ハンブルクのような日照時間の短い場所で育った彼にとって、明るく陽気なイタリアは心が軽くなる特別な場所だったのでしょう。
いかがでしたか?非常に人間臭くてどこか共感できるところもあったのではないでしょうか。ブラームスの作品にはこのような人間臭さが強く反映されており、それが魅力の一つです。
今回の演奏会ではブラームス作品の人間臭いところが表現できる演奏をしたいと思います!